バッタを倒しにアフリカへ(書評)

最近読んだ本で、あまりにも面白かったので書評を書いてみました。

バッタを倒しにアフリカへ 前野ウルド浩太郎著

 何年前だろうか、コロナの世の中の前だったと思うのだが、この本の表紙を何かで見かけ、「ちょっと読んでみたい」という衝動にかられたことがあった。だが当時、私は仏教やキリスト教関連の本にはまっていたため、時間の経過とともにこの本への関心は薄れてゆき、以後、私の好奇心の対象に上ってくることはなくなった。なくなっていたのだが、最近KINDLEのアンリミテッド(アマゾンの電子書籍の読み放題サービス)で面白そうな本を探していると、顔を緑色にペインティングし、緑の布をまとい補虫網を構えている、かつて興味をそそられたあの表紙が表示されているではないか。しかもアンリミテッドの対象だ。数年の時を経て、ついにこの本を読む時が訪れたのだ。

本書の打倒すべきバッタというのは砂漠に生息するサバクトビバッタだ。数が少ないときはおとなしいバッタだが、群れると見た目も変化し、大集団を形成し、農作物を食い荒らし、さらなる食べ物を求めて一日100㎞を移動するという。大発生時には数百キロ四方がバッタで満たされるそうだ。人間にとっても家畜にとっても植物を食い荒らされるのは脅威で、聖書にも「神の罰」として登場する。日本のトノサマバッタにも同じ性質がある。

著者は当時、このバッタを日本国内の研究所で室内実験を通して研究していた若手研究者だ。実験、研究をしてお金をもらっている立場だが若手研究者の場合、それは永久就職を意味しない。決められた任期のうちに、しかるべき研究をし、しかるべき結果を出し、さらに専門の研究ができる組織が求人をだしており、それへの就職活動が成功しなければ無収入の人に成り下がる。

日本国内の実験室での研究で、蝗害(バッタの害)阻止の研究結果が得られるのか、しかも日本人にはほぼ無縁のバッタだけに、室内実験での研究で、食えるバッタ博士になれる道が開かれるのか、著者は厳しい現実を突きつけられる。本書はそんな男の人生を賭けた戦いの記録である。

戦いの舞台は、アフリカ西部の国、モーリタニア。旧フランス領だったイスラム教の国だ。著者は現地で酒の調達が困難なことを察して日本からビール数本、経由地の空港でウイスキーを購入し、モーリタニアの空港へ降り立つ。他宗教の人は持ち込み可能と事前に聞いていたが、大量の荷物を警備員に不審がられ、いきなり没収という憂き目にあう。いきなりの前途多難ぶりだ。

さて、その後著者は2年の任期で学術会議の支援を受けつつ、「国立サバクトビバッタ研究所」に厄介になり、さっそくフィールドワークに出かけ、群生相の幼虫の群れを発見して大興奮。前途に明るいものが見えたかに思えたが、あろうことか大干ばつに見舞われる。雨が降らないため植物は枯れ、探せども探せどもバッタを見つけることができず、途方に暮れてしまう。

しかし、いないものは仕方がないので、研究対象を現地での別の虫にしてみたり、別種のバッタにしてみたり、フランスの研究所での室内研究に参加させてもらったりと、今できる努力を惜しまない著者。2年間は生活費と研究費は援助してもらえるが、その間に功績をあげ、それを基に就職にありつかなければ、常勤の研究者など夢のまた夢。常勤昆虫学者への夢と資金難への恐怖との間でもがき苦しむ姿には胸を締め付けられる。しかし著者はかなりのプラス思考の持ち主のようで、災いを福にかえてゆく。

苦境に立たされたときに、どのように考え、行動するのか。日本から遠く離れた砂漠の地で、苦難を乗り越えていく姿は、日々壁にぶち当たってもがいている我々にも、前に進むヒントとなる。

ユーモアあふれる文章は面白くて読みやすく、あっという間に読了。さて次の本を探そうとしたら画面にまたもや緑色の男が写った表紙が表示された。しかも今度は二人もだ。タイトルを読むと「バッタを倒すぜ、アフリカで」。続編である。今度はアンリミテッドではない。有料だ。

迷わずに買ったことは言うまでもない。

京都店 川北